東松山市・ときがわ町・吉見町の御朱印(箭弓稲荷神社・厳殿観音・慈光寺・吉見観音)




このページでは埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社・厳殿観音、ときがわ町の慈光寺、吉見町の吉見観音の御朱印をご紹介しています。

目次

箭弓稲荷神社 埼玉県東松山市

箭弓稲荷神社の御朱印

箭弓稲荷神社の御朱印

 

【概略】

712年(和銅5年)の創建と伝えられる。1030年(長元3年)に下総国の城主平忠常の討伐に出かけた源頼信がこの周辺に一泊した際に、近くにあった野久稲荷神社に詣でて、太刀一振と馬一頭を奉納すると、その夜に白羽の矢のような形をした雲が敵陣の方へ飛んでいくのを目撃し、これは神のお告げだと確信、直ちに敵陣に攻め込んだ頼信は快勝し、立派な社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」とたたえたと伝えられる。

参拝者駐車場利用。御朱印は授与所にていただきました。名前の音から野球関係者の参拝も多いようです。御朱印帳も売ってましたが名が入っていなかったのでオリジナルかどうかはわかりません。

【祭神】

保食神 (宇迦之御魂神・豊受比賣神)

【鎮座地】

埼玉県東松山市箭弓町

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正法寺 埼玉県東松山市

厳殿観音正法寺 坂東十番の御朱印

厳殿観音正法寺 坂東十番の御朱印

 

地蔵菩薩の御朱印

地蔵菩薩の御朱印

 

【概略】

養老二年(718)沙門逸海が、岩殿の嶺の岩窟に本尊を安置し、正法庵と号したのがはじまりと伝えられている。坂上田村麻呂の悪竜退治の伝説がある。鎌代時代には、北条政子の守り本尊として、源頼朝の庇護のもと比企能員が復興した。

参拝者駐車場利用。御朱印は観音堂から階段を下りて納経所にていただきました。大東文化大の近くにあります。あんな辺鄙な場所に大学があるとはちょっと驚きです。通っている学生さんや先生も大変かと思います。

【名称】

厳殿山正法寺  真言宗智山派 本尊:千手観世音菩薩(観音堂) 阿弥陀如来(本堂)

坂東三十三箇所第10番  関東百八地蔵尊第13番札

【場所】

埼玉県東松山市岩殿1229

慈光寺 埼玉県比企郡ときがわ町

慈光寺 坂東三十三観音第九番 の御朱印

慈光寺 坂東三十三観音第九番 の御朱印

 

関東九十一薬師の御朱印

関東九十一薬師の御朱印

 

巡礼地蔵尊の御朱印

巡礼地蔵尊の御朱印

 

【概略】

673年(天武天皇2年)興福寺の僧慈訓が千手観音を安置し、その後770年(宝亀元年)道忠が開山となって創建されたという。平安時代の貞観年間(859年 – 877年)には勅願所となり、天台宗の別院となりその中心的な寺院となった。その後、源頼朝をはじめ徳川将軍家などの帰依を得た。

参詣者駐車場利用。御朱印は納経所にていただきました。観音堂は納経所から歩いて登ったところにあります。

【名称】

都幾山一乗法華院慈光寺 天台宗 本尊:千手観音

坂東三十三箇所第9番 関東九十九薬師第33番、関東百八地蔵尊 第14番

【場所】

埼玉県比企郡ときがわ町大字西平386

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吉見観音 埼玉県比企郡吉見町

吉見観音(岩殿山安楽寺)坂東三十三観音第十一番の御朱印

吉見観音(岩殿山安楽寺)坂東三十三観音第十一番の御朱印

 

【概略】

奈良時代の僧行基が聖観音像を安置したのに始まるとされ、平安時代初期の武将坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられる。本尊の吉見観音は毎年6月18日に厄除観音会が催され、御開扉される。その後、源頼朝の弟源範頼が三重塔などを建てたとされるが、兵火により焼失したという。

参詣者駐車場を利用しました。御朱印は納経所にていただきました。駐車場から多少距離がありますが近くにはないのでそこから歩くのが正解です。

【名称】

岩殿山光明院安楽寺 通称:吉見観音  真言宗智山派 本尊:聖観世音菩薩

坂東三十三箇所第11番

【場所】

埼玉県比企郡吉見町御所374

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東松山市・比企郡御朱印MAP

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ドライブと温泉が好きな歴史ヲタ。2012年に御朱印と出会ってから旅行の頻度がさらに上がってしまいました。運動不足で体力がほとんどないので車でできるだけ近くまで乗り付けるのをモットーにしています。