群馬県吾妻郡(中之条町・東吾妻町・嬬恋村)の御朱印




このページでは群馬県吾妻郡中之条町の日向見薬師堂・林昌寺・清見寺、東吾妻町の大宮厳鼓神社、嬬恋村の浅間山観音堂、鎌原観音堂の御朱印をご紹介しています。

目次

日向見薬師堂 群馬県中之条町

日向見薬師堂の御朱印

日向見薬師堂の御朱印

【日向見薬師堂概略】

慶長3年(1598年)時の領主、真田信幸の武運長久のために建立。室町時代の建築様式(唐様和様の折衷)を残している。群馬県最古の寺院建築で国指定重要文化財。
永延3年(989年)のころ、源頼光の家来、碓氷貞光が越後から四万奥の木の根峠を越えて日向見を通り、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいたところ、夢の中に現れた一人の子どもから「あなたの読経の真心に感心し四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である」と神のお告げを聞き、目を覚ますと温泉が湧き出ていたという伝説が残る。そこに祀ったのが日向見の薬師様。

薬師堂の向かいには四万温泉発祥の湯と言われる「御夢想の湯」があり。無料で利用できる。(寸志)
御朱印がいただけるとは期待しないのでお詣りしたのですが、納経所が開いており御朱印がいただけました。

【名称】

日向見薬師堂  宗本寺所属(温泉組合が管理)

【所在地】

群馬県吾妻郡中之条町四万4371 (四万温泉の一番奥)

御夢想の湯

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 林昌寺 群馬県中之条町

 林昌寺の御朱印

林昌寺の御朱印

【林昌寺概略】

真田幸隆の弟、矢沢薩摩守頼綱が再興。歴代沼田藩主真田家が庇護し、寺領の寄進や堂宇の改修が行われ、真田昌幸により寺紋の六連銭が許された。

駐車場がよくわからなかったのでお寺の前で降ろしてもらい御朱印をいただきました。どうも法事中らしくお忙しそうでしたので御本尊の御朱印のみいただきました。

【名称】

宝満山白雲院林昌寺 曹洞宗 本尊:釈迦牟尼仏

関東九十一薬師霊場第45番、関東百八地蔵尊霊場第30番

【所在地】

群馬県吾妻郡中之条町伊勢町1002

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清見寺 群馬県中之条町

清見寺の御朱印

清見寺の御朱印

【清見寺概略】

長禄二年(1458)、浄礜西現上人により西中之条に創建されたのが始まり。 寺から見下ろした景色はとても美しく、吾妻川の雄大な流れ
と周辺の松原が駿河の三保の松原に似ていると言われる。

上から車で入りましたが下に車を停めて階段を昇っても行けるようです。 御朱印は庫裏にて書置きのものをいただきました。

【名称】

長岡山安養院清見寺 浄土宗 本尊:阿弥陀如来 札所本尊:聖観世音菩薩

上州観音霊場第26番

【所在地】

群馬県吾妻郡中之条町大字中之条町746

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 大宮厳鼓神社 群馬県東吾妻町

 大宮厳鼓神社の御朱印

 大宮厳鼓神社の御朱印

【大宮厳鼓神社概略】

ヤマトタケル東征の際、上毛野国の長者高豊の屋敷に泊まった際に、その家の姫である上野姫(吾妻姫)を寵愛し子を為したという。その子は大若宮彦と呼ばれ、この子が後に巌鼓尊として巌鼓大明神にて祀られる事になったという。

旧郷社で産土神として崇敬を集めている。御朱印は授与所にていただきました。

NHKドラマ「真田丸」で知られた岩櫃城の近くです。写真は岩櫃城温泉。

【祭神】

日本武尊・弟橘姫命、素戔嗚命、保食命

【鎮座地】

群馬県吾妻郡東吾妻町原町811

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浅間山観音堂 群馬県妻恋村

浅間山観音堂の御朱印

オリジナル御朱印帳

【浅間山観音堂概略】

東叡山寛永寺別院。世界三大奇勝の一つに数えられる「浅間山鬼押出し」の中央に鎮座する。

江戸時代の天明3(1783)年に、浅間山が大噴火を起こし麓の鎌原村でたくさんの方が犠牲になった。その鎌原村に寛永寺の末寺である延命寺があったこともあり、寬永寺住職である輪王寺宮公延法親王が噴火罹災者の救援をお命じなられたことを縁に、昭和33(1958)年5月に上信越高原国立公園内に位置する「鬼押出し園内」に、寛永寺より聖観世音菩薩を迎え、浅間山観音堂が創建された。

観光地である「鬼押出し園内」にあります。園内を歩いて回りますが、こちらが目的地のようになっていて自然に到着します。

噴出した溶岩によって写真のようにすごい景観の中を歩いていきます。道は整備されていて、坂もきつくないので簡単に歩いて行けます。

軽井沢から北へ車で進み浅間山の反対側に位置します。

【名称】

東叡山寛永寺別院浅間山観音堂 本尊:聖観世音菩薩

【所在地】

群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原

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鎌原観音堂 群馬県妻恋村

鎌原観音堂の御朱印

【鎌原観音堂概略】

1783年(天明3年)7月8日、浅間山の大噴火により、火口から約12km離れた鎌原村は土石流により壊滅。その際に観音堂の階段を上がって避難した93名のみが助かり、477名もの人々が犠牲になった。

現在は15段ほどの石段であるが、当時は約50段あったことがわかっており、35段分が土に埋まったこととなる。

鎌原村を襲った土石流は吾妻川に流れ込み、川を堰き止めダムのような形となったため、後に決壊し、利根川下流に洪水を引き起こし、1490名もの人命が失われた。

寛永寺の末寺の延命寺は鎌原村にあり被災、この縁で被災者の救援に当たったという。また1784年に善光寺にて浅間山大噴火被災者の追善大法要が行われたが、これが現在の「善光寺御開帳」の元となったという。

嬬恋郷土資料館に隣接しており、御朱印はそちらで書置きをいただきました。浅間山噴火の様子がよくわかる展示があります。

【名称】

鎌原観音堂

【所在地】

群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492

吾妻郡御朱印MAP

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ABOUTこの記事をかいた人

ドライブと温泉が好きな歴史ヲタ。2012年に御朱印と出会ってから旅行の頻度がさらに上がってしまいました。運動不足で体力がほとんどないので車でできるだけ近くまで乗り付けるのをモットーにしています。