智積院・新日吉神宮の御朱印 京都市東山区

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このページでは京都市東山区の智積院・新日吉神宮の御朱印をご紹介しています。

智積院 京都市東山区

真言宗十八本山第七番の御朱印

近畿三十六不動尊第二十番の御朱印

京都十三仏霊場第一番の御朱印

【智積院概略】

真言宗智山派の総本山。もとは根来山大伝法院の塔頭であったが、根来山は天正13年(1585年)の豊臣秀吉の根来攻めにより全山炎上した。根来攻めの直前に高野山に難を逃れた智積院の住職の玄宥は、慶長6年(1601年)に、徳川家康より豊国神社の付属寺院の土地建物与えられて智積院を再興、元和元年(1615年)に豊臣氏が滅ぶと、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大した。長谷川等伯一門による金碧障壁画ほか、多数の文化財を保有する。

拝観料なしで庭園等を拝観することができます。

宝物館のみ入場料が必要です。(500円)国宝級の絵画などを間近で見ることができますのでおすすめです。

御朱印は山門脇の御朱印受付でいただけます。向かいにある宿坊の智積院会館はお土産店などがあり誰でも入れますのでトイレなども借りられます。空いているのでおすすめ。

【名称】

五百佛山 根来寺 智積院 真言宗智山派総本山 本尊:金剛界大日如来

真言宗十八本山第七番、近畿三十六不動尊第二十番、京都十三仏霊場第一番

【所在地】

京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964

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新日吉神宮 京都市東山区

新日吉神宮の御朱印

【新日吉神宮概略】

1160年(永暦元年)後白河上皇の命により、院の御所である法住寺殿の鎮守社として創建された。その後社地を転々とするなど一時はほとんど廃絶寸前となっていた。寛永17年(1640)後水尾上皇により再建、その後に樹下(このした)社(現在は豊国社と改称)が勧請され、そこには妙法院で密かに保管されていた豊国神社のご神体も祀られた。1958年(昭和33年)、後白河天皇を増祀し、翌1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めた。

智積院のとなりにあり歩いて行きました。坂道でしたので少ししんどかったです。京都女子大行のバスを利用すると目の前まで行けます。御朱印は授与所にていただきました。

【祭神】

日吉山王七神、後白河天皇

【鎮座地】

京都市東山区妙法院前側町451-1

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ドライブと温泉好きの歴史オタ。2012年に御朱印と出会ってから旅行の頻度がさらに上がってしまいました。運動不足で体力がほとんどないので車でできるだけ近くまで乗り付けるのをモットーにしています。
お問い合わせは mako_pee☆excite.co.jp(☆を@に変えてください)まで。