このページでは岩手県盛岡市の盛岡八幡宮・岩手県護国神社・櫻山神社、紫波町の志和稲荷神社・志和古稲荷神社の御朱印をご紹介しています。
盛岡の街は東京からそこそこの距離があり日帰り圏とは言えないからか出張者や旅行者が行きやすいお店がたくさんあって楽しいです。早い新幹線に乗るとすぐですので仙台からの途中の駅に行くより便利です。
目次
盛岡八幡宮 岩手県盛岡市
盛岡八幡宮の御朱印

【盛岡八幡宮概略】
康平5年(1062年)、源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まると伝えられる。「鳩森八幡宮」と称し、地元の豪族の日戸氏が代々崇敬した。文禄2年(1593年)、南部氏が盛岡城を築城した際に城内鎮守の神社として再建された。

盛岡を代表する大きな神社。長い参道がずっと伸びており、その先の少し高くなっている場所にあります。 境内は広く、きれいに整備されていて、とても空を広く感じる解放感のある贅沢な空間です。盛岡駅から離れているので歩いていくのは厳しいかもしれません。参拝者駐車場利用。御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
誉田別命
【鎮座地】
岩手県盛岡市八幡町13-1
岩手県護国神社 岩手県盛岡市
岩手県護国神社の御朱印

【岩手県護国神社概略】
明治維新から戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没されたおよそ35,800柱の英霊をお祀りしている。
盛岡八幡宮内にあります。御朱印は盛岡八幡宮の授与所にていただきました。
【祭神】
戦争で亡くなられた岩手県に関係する方々
【鎮座地】
岩手県盛岡市八幡町13−1
櫻山神社 岩手県盛岡市
櫻山神社の御朱印

【櫻山神社概略】
社殿が盛岡城三の丸跡にあり、江戸時代中期の寛延2年に創建され南部藩の総鎮守として信仰されてきた。

石割桜から盛岡城跡公園に行く途中にあります。盛岡の街中です。盛岡城築城時にでてきたという大岩「烏帽子岩」が祀られています。(上:写真)
通りを挟んだ向かいには、じゃじゃ麺発祥の店「白竜」を始め、その他おしゃれなカフェなどが並んでいます。近隣のパーキングメーターを利用しました。御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
南部光行公 南部信直公 南部利直公 南部利敬公
【鎮座地】
岩手県盛岡市内丸1−42
志和稲荷神社 岩手県紫波郡紫波町
志和稲荷神社の御朱印

【志和稲荷神社概略】
天喜5年(1057年)、源頼義が安倍頼時、貞任父子追討(前九年の役)の為に陣ヶ岡に布陣した際に戦勝を祈願して京の伏見稲荷神社から分霊を勧請して創祀したと伝えられ、その後藤原氏の一族で斯波郡を領した樋爪俊衡等が再建したとも、文治5年(1189年)の奥州合戦に際して源頼朝が再建したともいう。また、大同年間(806年 – 810年)の創建とする伝承もあり、更に建武2年(1335年)に奥州総大将として斯波郡に下向した斯波家長が伏見稲荷を勧請したともいう。

境内には樹齢1,000年といわれる杉の古木がある。参拝者駐車場を利用しました。 御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
宇迦之御魂大神 猿田彦大神 大宮能売大神
【鎮座地】
岩手県紫波郡紫波町升沢字前平17-1
志和古稲荷神社 岩手県紫波郡紫波町
志和古稲荷神社の御朱印

【志和古稲荷神社概略】
神社の御創祀は年代不詳。この地方一帯を領知していた斯波氏の厚い崇敬を受けられた以前のことは不明である。昭和29年に社前の大杉が倒れた際に根本の空洞の土の中から「白きつねのミイラ」が出現した。

参拝者駐車場利用。御朱印は社務所にていただきました。志和稲荷神社から車ですぐです。こちらの方が手前にあるので、こちらだけ参拝して帰らないように注意。
【祭神】
宇迦御魂命
【鎮座地】
紫波郡紫波町升沢字小森108-1-1