藤井寺市(道明寺天満宮・辛國神社・葛井寺)・羽曳野市(誉田八幡宮)の御朱印 




このページでは大阪府藤井寺市の道明寺天満宮、辛國神社、葛井寺、羽曳野市の誉田八幡宮の御朱印をご紹介しています。

目次

道明寺天満宮 大阪府藤井寺市

道明寺天満宮の御朱印

 

【概略】

菅原道真ゆかりの深い神社として知られる。道真が九州の太宰府に左官される途中、伯母の覚寿尼を訪ね別れた際に自作の像を残したと伝えられている。延喜3年(903)道真は病死したが、遺言により覚寿尼に届けられたと伝えられている6つの遺品が遺されており(国宝)、梅祭の期間などにこれらの遺品が特別公開される。本殿背後の梅園には見ごろの2月になると90種、約900本の梅が美しく咲き、「大阪みどりの百選」にも選ばれている。また、拝殿そばの「常成梅(じょうなりうめ)」は一年中実をつけたままの珍しい梅。毎年1月25日に行われる「初天神うそかえ祭」は災難除けの神事で、前年についたウソを流そうと多くの参拝者が訪れる。

近鉄大阪線「道明寺駅」から徒歩で行きました。御朱印は授与所にていただきました。となりの道明寺にも行きましたが、そちらは御不在で御朱印はいただけませんでした。

【祭神】

菅原道真、天穂日命、覚寿尼(道真公のおば)

【鎮座地】

大阪府藤井寺市道明寺1-16-40

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辛國神社 大阪府藤井寺市

辛國神社の御朱印

 

【概略】

千五百年程前、雄略天皇の御代に創設された神社。この地方を治めることになった物部氏は、その祖神を祀って神社をつくり、その後、辛國氏が祭祀をつとめ辛國神社と称するようになった。

近鉄南大阪線 藤井寺駅から南へ200m。西国5番葛井寺から行きました。御朱印は授与所にていただきました。

【祭神】

饒速日命 天児屋根命 素盞鳴命

【鎮座地】

大阪府藤井寺市藤井寺 1-19-14

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葛井寺 大阪府藤井寺市

葛井寺 西国五番 の御朱印

 

【概略】

寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたとの説もある。

近鉄 南大阪線 藤井寺駅 から徒歩5分位のところにあります。御朱印は本堂内の納経所にていただきました。

【名称】

紫雲山葛井寺 真言宗御室派 本尊:十一面千手千眼観世音菩薩(国宝)
西国三十三観音第五番札所

【場所】

大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16番21号

誉田八幡宮 大阪市羽曳野市

誉田八幡宮の御朱印

 

【概略】

縁起によると欽明天皇の命令で応神天皇陵の前に誉田宗廟の神殿を建立したことがはじまりで、後冷泉天皇の永承6年(1051)に社殿を現在の場所に移したとされている。
平安末期から鎌倉時代にかけて歴代天皇や将軍に守られて、社殿や伽藍(がらん)などが整備され、やがて八幡信仰が盛んになるにつれて、源氏を名乗る武士の信仰を集めた。しかし、戦国時代になると再三の兵火に見舞われ、社殿や伽藍は焼失。現在の本殿や拝殿は、豊臣氏によって再建されたものと言われている。

近鉄南大阪線 古市駅から徒歩でいきました。結構歩いた気がします。幹線道路をガードレールのない歩道を歩くので少々怖かったです。
御朱印は授与所にていただきました。応神天皇陵のとなりにありますが、陵は大きすぎて、近くに行くと単なる山にしか見えません。

【祭神】

応神天皇

【鎮座地】

大阪府羽曳野市誉田三丁目2-8

藤井寺市・羽曳野市御朱印MAP

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ドライブと温泉が好きな歴史ヲタ。2012年に御朱印と出会ってから旅行の頻度がさらに上がってしまいました。運動不足で体力がほとんどないので車でできるだけ近くまで乗り付けるのをモットーにしています。