このページでは東京都江東区の富岡八幡宮・深川不動堂・永代寺・深川ゑんま堂・深川神明宮・深川稲荷神社の御朱印をご紹介しています。
地下鉄東西線「門前仲町」駅で降りて、富岡八幡宮ほかの寺社を参拝してから、深川方面に北上して都営地下鉄「森下駅」まで歩くルートですべてまわれるかと思います。
正月の深川七福神の期間に合わせて回ってもよいかと思います。
目次
富岡八幡宮 東京都江東区
富岡八幡宮の御朱印

オリジナル御朱印帳

【概略】
東京十社の一つ。横浜市金沢区にある「富岡八幡宮」を本社とする。別名を「深川八幡」。1624年(寛永4年)に長盛法師が当地を干拓した際に、工事が難航したため、「波除八幡」の別名を持つ現在の横浜市金沢区にある「富岡八幡宮」から分社して勧請した。徳川将軍家の庇護を受け、広く美しい庭園から庶民の人気も高かった。

地下鉄東西線門前仲町駅から徒歩で行きました。御朱印は授与所にていただきました。授与所は本殿の脇にあります。

【祭神】
品陀和気命他八柱
【鎮座地】
東京都江東区富岡一丁目20番3号
深川不動堂 東京都江東区
深川不動堂 関東不動二十番 の御朱印

オリジナル御朱印帳

【概略】
成田山新勝寺の東京別院。江戸時代、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王の登場する芝居が人気となり、江戸市民の間で成田山の不動明王を拝観したいという気運高まった。それを受けて富岡八幡宮の別当寺である永代寺で成田不動の出開帳がしばしば行われた。明治になっても不動信仰はやむことなく、明治11年(1878年)深川公園の一部である現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することとなった。なお関東大震災と東京大空襲で本堂は2度焼失しているが本尊は焼失を免れている。

地下鉄東西線門前仲町駅から徒歩。御朱印は納経所にていただきました。
【名称】
成田山 東京別院 深川不動堂 真言宗智山派 本尊:不動明王
関東三十六不動20番
【所在地】
東京都江東区富岡1丁目17番13号
永代寺 東京都江東区
永代寺 御府内八十八か所第68番の御朱印

江戸六地蔵 第6番 の御朱印

【概略】
1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄え、成田山の出開帳がたびたび行われた。明治初年の神仏分離により廃寺となったが、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興された。地下鉄の駅名で知られる地名の「門前仲町」の門前とは深川不動ではなく、この永代寺の門前のこと。

門前仲町の駅から深川不動へ向かう参道の途中にひっそりとあります。御朱印は納経所にていただきました。
【名称】
大榮山 金剛神院 永代寺 高野山真言宗 本尊:歓喜天
【所在地】
東京都江東区富岡1-15-1
法乗院 深川 ゑんま堂 東京都江東区
御府内八十八ヶ所第74番の御朱印

深川ゑんま堂の御朱印

【概略】
寛永六年(1629)創建。江戸三ゑんまの一つとされている。お賽銭を入れるとコンピュータ制御の閻魔様が相談事に応じて有難い話をしていただけるハイテク仕様なお寺で面白いです。一度行ってみる価値があると思います。

門前仲町の駅から北上し高速の高架を越えて葛西橋通りを渡ったところにあります。御朱印は納経所でいただきました。

【名称】
賢臺山 法乗院 深川 ゑんま堂 真言宗豊山派 本尊:大日如来
御府内八十八ヶ所第74番札所
【所在地】
江東区深川2-16-3
深川神明宮 東京都江東区
深川神明宮の御朱印

【概略】
慶長年間(1596~1614)に摂津国の深川八郎右衛門が開拓した新田に勧請した。徳川氏の江戸入府時にはまだ地名がなかったが、徳川家康から深川八郎右衛門の苗字「深川」を地名とするようにとされたという。深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となり、深川氏は開拓の功績により代々深川二十七ヶ町の名主を務めた。
都営大江戸線森下駅から徒歩で行きました。御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
天照皇大神
【鎮座地】
江東区森下1-3-17
深川稲荷神社 東京都江東区
深川稲荷神社の御朱印

【概略】
江戸時代の1630(寛永7)年に創建。関東大震災および東京大空襲で古文書が焼失したため詳細は不明であるが、このエリアは徳川家の江戸開発により運河が開削されるなどして物流の要衝となったため、その一環として建立されたと思われる。
神職さんはおらず町会によって維持されている神社で深川七福神の期間中に参拝しました。地下鉄清澄白河駅から徒歩でいきました。
【祭神】
宇迦之御魂神
【鎮座地】
東京都江東区清澄2-12-12
門前仲町・深川御朱印MAP
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